2019年8月25日日曜日

レッドビル100ランDNFレースレポート

レッドビル・トレイル100ラン

私が今シーズンの全てを賭けていると言っても過言ではない「レッドマン」シリーズ最終戦。

最終戦前にシリーズ首位にいて、優勝に王手がかかっている重要な一戦。

午前4時スタートに合わせて午前1時半に起床し、チームクルーと共に最終装備チェックと朝食を済ませる。


足に若干の違和感を感じていたが、連戦の疲労か、先週末の100マイルMTBと10kランレースの筋肉痛が残っているものだと思っていた。

この違和感がこのレースに大波乱を起こすとは夢にも思っていなかった。

700人以上のウルトラランナーがスタートに並ぶ。


レッドマンシリーズリーダーとして最前列を位置取らせてもらう。



昨年10月よりランニングを始めてここまでできる限りのことはやってきた。緊張、不安、興奮、期待、色々な感情が入り混じり、逆に落ち着いた気持ちでスタートに立つことができていた。




100マイル。今まで経験したことない距離であり、私にとっては全くの未知の領域。やるべきことを、やってきたことを、全てこの100マイルに出すのみだ。



©️Myke Hermsmeyer

レーサー達の凄まじい熱気と共に、ついに私の100マイルの超戦が始まった!




ペースは心拍数で基本コントロール。

私の心拍でいうと120−130ほどをベースに、登りであげすぎても145以下に抑える。バイクレースだとここまで低くなることはほぼない。

20時間以上を走るにはこの淡々と行くペースが重要となってくる。

周りにいくら抜かされても気にせずにマイペースで暗闇を走る。

しかし、足の違和感が次第に痛みへと変わってくる。

ハムストリングスの上部から始まり、走り方を変えないと走ることができないくらいになってきた。

先週の10kでのレース中に、痛めた感があったが、ただの筋肉痛かと思っていた。

しかし、この痛みが根深く残っていたようだ。
以前に経験のある軽い肉離れの症状と非常に似ている。

一箇所をかばい始めると悪循環で、次にふくらはぎと足底筋にも違和感と痛みが移ってきた。

第一エイドでは、なんとか目標設定時間ギリギリで到着するもすでに一切の余裕はない状態。

第2エイドでは日が出てきて気持ちも上がってくるが、足はなかなかいうことを聞いてくれない。




サポートクルーは明らかにフラストレーションを抱える私に対しても、優しく献身的に補給食・ドリンクを交換、励ましの言葉をくれる。




第3エイドでは、サポートクルーの判断でまだ使用予定のなかったハイキングポールを受け取る。

まだ使うには早過ぎるとも感じたが、走るのが困難となっていた私の足には非常に頼もしい存在となった。

クルーの判断には感謝しかない。



歩いてはジョグ。この繰り返し。

何をやっているんだ自分は。。。
どうなっているんだ自分の足は。。。

心の葛藤がひたすら続く。



最も大きなエイドステーション「ツインレイクス」まだ約40マイルほどだが、心身共にかなり削られていた。

そんな自分をサポートクルーが暖かく迎えてくれる。



自分のためにも、応援してくれているみんなのためにも強く走りたい。

そう強く思うが、皮肉にも足の痛みは増すばかりで復活の予兆は一切ない。




一番大切な日に、一番強く走りたい日に、なぜこんなことになってしまっているのだろうか。

そんな私の症状を少しでも和らげようとマッサージやクリーム、あらゆる手で私のチャレンジを後押ししてくれる素晴らしい仲間。

どんなに弱くても、遅くても歩み続けよう。
そう誓い、ツインレイクスを後にした。


下りと平地は足を地面につけるのも痛いが、なぜか登りはまだまだ行ける。

コース最高点ホープ峠(往路)を越える。

©Myke Hermsmeyer


絶景に対する感涙、悔しさの涙が入り混じる。頂上にいたカメラマンMykeも私のチャレンジを追ってくれている一人。「Never give up!」励ましをもらう。


©️Myke Hermsmeyer

亀の歩みで降っていると、次々と折り返し地点を通過したトップ選手、ライバル選手が登ってきてすれ違う。

すでに1時間以上の差は軽く付いているだろう。

完走したとしてもシリーズ優勝の可能性はほぼないことを悟る。

心のダークサイドが一気に襲いかかる。

本調子であればライバル選手達と今頃登っているはずなのに、今の自分は目も当てられないほどの情けない姿。

痛みで一歩も動けない、動きたくない、なぜ今こんなにも辛い思いをしているのか、その理由がなかなか見出せなくなる。

怪我をしているかもしれないとか、辞める理由すらも探し始めるほど気持ちはどん底まで落ちていく。

そんな時に助けてくれるのは、仲間の存在だ。

彼ら彼女らの応援する顔を思い出すだけでまた前へ進み始めることができる。

そして、すれ違うほとんどの人が応援してくれる。中には「ユーキ」と名前で呼んでくれる。

私も「グッジョブ!」「ナイスワーク!」「ルッキングッド!」と返す。

このやり取りだけでも元気が湧いてくる。

一人になるとまたダークサイドに引き込まれそうになるが、周りの助けでなんとか負けそうな自分にかろうじて打ち勝つことができていた。

峠を降り切り、折り返し地点のウィンフィールドへたどり着く。もうポールなしでは歩くのも困難なほど。



50マイル(80キロ)チェックポイント。



折り返し地点からは、一区間ずつペーサーをつけることが許される。
アメリカ在住の親友アキくんがツインレイクスまでの復路を担当してくれた。



一人でいる時とは全く違う。話せる相手がいるだけで気持ちが楽になり、体も楽に感じる。


足を痛めているだけで体力はまだ体にあることを感じる。

幸い登りではあまり痛みを感じないので、ホープ峠の登り返しを勢いよく上がっていく。


視界に入る前走者は全て抜いたのではないか?というくらいに順位を上げていった。



痛みの出る下りのことは考えず今は登りを楽しむ事だけに100%集中した。




ホープ峠2度目の登頂(復路)!
思えばこれがこの日最後の笑顔だったかもしれない。



予想はしていたが、下りに入った途端に足の激痛が再発。



抜いてきた選手達にも全員追い抜き返され、強い風が吹く標高4000m近い場所で動けなくなると、心拍も上げられず、一気に冷え、身体が震えはじめてしまった。

自分のレインジャケットに加えて、アキくんの持っていたスペアTシャツ、ジャケット、ロングパンツも全て羽織らせてもらう。

それでも震えが収まらず、峠のエイドステーションで暖かいスープをいただき、ようやく身体が温まり始めた。

アキくんがいなかったら、エイドがなかったらと思うと冗談抜きに命の危険すらあったと思う。




ポールがあっても真っ直ぐに歩けないほどに、足は使い物にならなくなっていた。


歩いては止まりの繰り返し。


陽が落ち、次第にあたりが暗くなる。

当初のプランではこのセクションは明るいうちに余裕で通過予定だったので、ライトは必要ないと思っていた。

ここもサポートクルーの機転でスペアライトと一つ持ってきてくれていた。

すぐに真っ暗闇となり、ライトを持ってきてくれていなかったらと思うとゾッとする。

一つのライトを頼りに二人でツインレイクスエイドステーションへ向かう。

歩くよりも遅いスピードの私に細かな段差を教えてくれて常に励まし続けてくれるアキくん。

感謝してもしきれない。

真っ暗闇の中、極冷の川渡りセクションがいくつもある。
一番深いのは膝上まであり流れも強いのでロープを使う。


気の遠くなるような峠の下りを終え、(10キロもない下りに5時間近くかかった)命からがらになりながら、ツインレイクスに帰還。

痛みを通り越し、感覚がない足。

これ以上進めないことを悟り始める。

暗闇の中、ライトに照らされたクルーの清子の姿を見た時には、抱えていたあらゆる感情が一気に溢れ思い切り泣いてしまった。

カットオフタイムの夜10時の約5分前にチェックポイントにたどり着いたが、ここで途中棄権を決断した。

私の夏を賭けたレッドマンシリーズが終わった瞬間だった。

最後は、結果すらでないDNF(途中棄権)。

シリーズ中一戦でも完走できなければ結果は出ない。

何よりも嫌いなDNFで終え、掴みかけていた優勝も逃した。

死ぬほど悔しいし、今もその事実は受け入れ難い。

しかし、昨年10月からの準備、6月から始まったシリーズ戦、全てに妥協なく、やれることはやったという自負はある。

そこには一切の後悔もない。

10Kというシリーズ中一番短いレースで足を痛めたのも、皮肉にも感じるが、なるべくしてなったことなのかもしれない。

MTB&トレイルランの長距離二種目でトップを目指すと決め、100%全力で駆け抜け、苦い経験も含めて、近年稀に見るほどに激アツなシーズンを過ごすことができた。

この私のチャレンジを応援、サポートし、実現させてくれた周りの人たちには心から感謝。

来年、懲りずにまたこのレッドビルに戻ってきて、今回の大きな忘れものを取りにきたいと思っています。

ありがとうございました!